
「和のあかり展」をはじめ、編集部でもたびたび特集している東京都指定有形文化財・百段階段(目黒)。この百段階段の階段が99段までしかない理由、ジブリ映画のモデルになったと言われている理由など、この記事は百段階段と目黒雅叙園にまつわるあれこれについてです。
百段階段の階段が一段足りない理由

百段階段はホテル雅叙園東京館内に現存する唯一の木造建築。7つの部屋の各部屋の天井や欄間には、当時屈指の著名な画家たちが創り上げた美の世界が描かれ、2001年には国の登録有形文化財、2009年には東京都指定有形文化財に指定されました。

そして「百段階段」というのは通称で、実際の階段は99段。この理由については百段階段の頂上に説明があります。

- 古来中国では奇数がおめでたい数字とされていたため
- 「月は満ちると欠ける」と歌でも詠まれたように、完璧な状態は長く続かないという考えから
- 100という完璧な数字から1を引いて、これからも発展する余地を残して99段にした
など、理由は諸説あるといわれています。
「百の縁起もの」展でも、1個少ない99個の縁起物が紹介に

2020年1月の「百段階段 百の縁起もの」展の資料によれば、現在の雅叙園さんでは「これで完璧なのではなくこれからも一層発展していくという気持ちをこめてあえて99段にした」というように考えているとのことです。同展は百段階段の中に描かれた縁起ものを100紹介するという企画でしたが、この考え方にならい、あえて紹介を99で止めていました。
本当にジブリ映画『千と千尋の神隠し』のモデルなの?証拠をさがしてみた

百段階段は『千と千尋の神隠し』に出てくる湯屋のモデルであるとされておりますが、公式サイト等にもそのような記述はなく、オフィシャルで認定されている事実ではありません。
にもかかわらず、大手含む多数のメディアがジブリ映画のモデルであると言い切ってしまっている論拠について検証しようと、2001年のフィルムブック『ロマンアルバム 千と千尋の神隠し』の資料を取り寄せてみました。
ネット上で良く引用されている「禄文化風とされる通俗的な御殿が持つどぎつさを表現するために、千尋が働くことになる湯屋は目黒雅叙園も参考にしています。」という一文は見当たりません。
ただし、本の中で美術監督の武重洋二氏が「湯婆婆の住まいは擬洋風で目黒雅叙園なんだ」と宮崎監督からイメージを伝えられたというインタビュー(※P104)、また監督自身の「あれは鹿鳴館であり目黒雅叙園です。」という発言(P115)が掲載されています。
また、「禄文化風」という言葉が妙にひっかかりました。元禄文化のことなのかしら…。ジブリ映画のモデルというのは決して都市伝説ではないようですが、ネット記事やブログでの伝聞、コピペを繰り返すうちに、断定的な表現として「事実」となり、どこかの時点で元禄文化から「元」をコピーし忘れた「禄文化」になってしまっているように思います。
チャップリンも舌鼓!

昔の料亭ではメニューに料金がないのが普通でしたが、雅叙園は明朗会計システムを導入。「豪華に飾られた場所でおいしいお料理を安価に、明朗会計で食べられる」というモットーは非常に人気を呼びます。最盛期は1日に8千人もの盛況だったそうで、昭和15年には喜劇王・チャップリンも目黒雅叙園で天ぷらを食したという記録が残っています。写真は2019年の「百段階段STORY展」での当時の料理風景の再現です。現在は提供されていませんが、昭和初期には「鯉の丸揚げ」というメニューが大人気を博していたそうです。

※この展示は再現展示で、静水の間でチャップリンが食事をしたわけではないようです。
実は今も結婚式が挙げられます。
「昭和の竜宮城」とも呼ばれ、東京都の有形文化財に指定されている百段階段。かつては食事を楽しみ、晴れやかな宴が行われていましたが、実は今でも結婚式を挙げることができます。「文化財人前挙式「新祝言」プラン」というウェディングプランで、百段階を貸し切りで式を挙げることができます。ご興味のある方はホテル雅叙園東京さんにお問い合わせください。