京都市内各所にある新選組ゆかりの地の数々。実際に歩いて回ってみた距離感なども含めてご紹介してきます。

ちなみに、この記事。夏に取材は終わっていたのですが、三条大橋の刀傷の撮影に失敗!4ヶ月後に京都を再訪して撮影しなおし、晴れて公開。妙に長い期間の制作となりました笑。では参りましょう。
《取材旅行》京都市内:新選組ゆかりの地めぐりの巻
京都市内には新選組のゆかりの地がいくつかあります。今回は3時間ほどかけて歩くコースでその中のいくつかを巡ってみます。全く同じに歩くと約9.3kmの工程となります。
西本願寺 太鼓楼

地下鉄烏丸線・烏丸御池駅からスタート。のんびりストリートスナップでも撮影しながら…と思ったのですが、取材時は小雨が降っておりややハードなウォーキングに…。最初の目的地は西本願寺。地下鉄・五条駅から徒歩15分くらいです。

西本願寺の北側外れにあるのが重要文化財 太鼓楼。1864年の池田屋騒動以降、隊士が増えた新選組は、翌1865年に屯所を壬生から西本願寺(本願寺)に移し、この太鼓楼を使用していたということです。

当時は境内で大砲を轟かせたり実弾射撃を行うなどかなりの乱暴者ぶりだった様子です。
島原大門
太鼓楼から徒歩10分程度で島原大門。JRの丹波口から徒歩9分くらいの位置となります。

島原は江戸時代以来、公許のは花街(かがい)として発展してきたエリア。正式地名は西新屋敷(にっしんやしき)、六条三筋町からの移転騒動が九州の「島原の乱」を思わせたところから一般には「島原」と呼ばれてきたそうです。

角屋
大門を抜けてそのまま200m程度すすむと見えてくるのが重要文化財 角屋(すみや)。今で言う料亭にあたる「揚屋(あげや)」です。

いわゆる遊廓の店と異なり、和歌、俳諧の文芸の席、お茶の席があり、文化サロンとしての役割を果たしていたそうで、外観の格子作りも吉原の牢屋のような格子作りと異なっています。

幕末頃は新選組局長クラスの宴会があったそうで、芹沢鴨も暗殺される前日にこの角屋での宴会に出席していました。
壬生寺
島原からJR丹波口の横を抜け20分ほどかけて壬生寺に。言わずとしれた新選組の屯所で、隊士の墓所もあります。…が、壬生寺歴史資料館は取材時は休館中。非常に残念ですが後日リベンジということで…。新選組の剣客たちが集結していた壬生寺ですが、現代では、その境内に保育園や老人ホームが開設されています。

また、壬生寺のすぐ近くに、芹沢鴨が暗殺された八木邸(京都市指定文化財)があるそうですが、調査不足でこちらは見逃してしまいました。また次回に…。

池田屋と三条大橋
JR丹波口近辺のエリアから、今度は反対の祇園方向へ向かいます。阪急大宮から京都河原町まで阪急で行き、そこから10分ほど歩くのが本当はベストですけど。約40分歩きます!
池田屋

三条大橋に向かう手前に池田屋があります。現在も「はなの舞」という居酒屋として営業しています。
店の前には「池田屋騒動之趾」の石碑があります。二階の隊士のイラストのパネルが見えるでしょうか…。残念ながらこちらも取材時は休業中。めげずに、池田屋騒動当時の刀傷が三条大橋に遺っているということで、訪ねてみます。

三条大橋へ

橋のたもとに「三条大橋擬宝珠高刀傷跡」の立て札があります。そしてこれが、池田屋騒動当時の刀傷。観光客に撫ぜられて黒光りしています。これにて全行程終了。宿のある烏丸御池までは1キロ強…すいません、もう足が限界だったのでタクシーしました。

…と思ったらそれじゃなかった!

戻って資料を確認したら、刀傷の写真が全く間違っていました!全然違う場所でシャッターをバシバシ切っておりました。お恥ずかしい…。4ヶ月後に再訪して正しい場所を写真に収めました。こちらです。

編集後記(感想など)
都合3時間くらいかけて新選組のゆかりの地を歩いてみました。島原と壬生寺だけであればJR丹波口からが便利かなと思います。今回行けなかったのですが「壬生温泉はなの湯」もあるので、ここだけ組み合わせるのも良いかも。金閣寺とか清水寺も良いですけど、歩いて京都を感じられる旅というのも楽しいですよ!
リソース
- 記事中の写真は全て編集部による撮影